ためらわずに開こう!「第二の青春」への扉
誰でもが迎える定年。
仕事一筋で生きてきた自分が、残りの人生をどのように過ごすか。
課題は大きなものがありますね。
ここで言う定年という言葉は、人生のうちの一つの区切りと思って下さい。
自営業の方には定年がないので、後継者がいらしたなら、その方に譲られたそのときが一区切りと言えるでしょう。
定年を迎えて楽しんでいる方、年齢がきたから致し方なく定年を迎えざるを得ない方、そして中途リタイアしなければならなかった方。
経済的なものや生活環境によって違ってくると思いますが、これからの人生を暗中模索の人、あるいは楽しむまでも行かなくても、これから設計図を書こうという人など・・・全ての方達にそれぞれの老後が待っています。
下記は、今現在現役で働いている方、定年になられている方数人に、「シニアが定年後どう生きていくのか。どう生きていこうと思っているのか。」そのご意見をお聞きしました。
楽しく素敵なシニア方々の考えを皆さんに知っていただいて、少しでもポジティブな人生を送ってもらいたいと、切に願っています。
(投稿して下さった皆さん、ご協力有り難うございます。投稿順に上へ掲載いたしましたので、順不同です。ご了承ください。)
尚、このコーナーへの投稿ご希望の方は、お問い合わせフォームからご投稿ください。投稿の内容に関しましては、当コーナーに沿うものであり、良識ある判断のもとよろしくお願い致します。
ヨクナルさん 1948年生 東京在住
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「人生の幸とは、何でしょうか」
私より、1歳年上の常務取締役まで、登りつめた人間が昨夜死亡した。
会社、仕事の為、自分を犠牲にして、何が残ったのか。
金銭的豊かさとか、会社の地位とか、業績とか・・・
死んでしまったら、何も残らない。
しばらく、「良い人だったとか」「仕事が出来る」とか同年代に話題にのぼるだけである。
当日の社長のメールでその事に何も触れず(全英ゴルフのコメントである)
まったく、常務まで、出世しても、犬死である。
私は、リストラされて、ずいぶん悔しい、苦しい思いもしたが、今後の人生をかんがえると、負け惜しみでなく、リストラされて良かったと思います。
挫折を経験してないと、人を上から見下ろすことなり、第二の人生にスムーズにスタート出来ないと思います。
新しい人間関係、新しい地域関係が楽しみです。
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熊さん 1941年生 京都在住
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「母の介護と社寺・庭園散策」
■定年後の過ごし方、夢
定年直後、父が急逝した事に伴い母の痴呆症がすすみ、再就職を断念し母の介護生活に入りました。
それから4年、母の介護度は「要介護4」まで進み自宅介護も大変ですが、自分の健康管理も含め毎日1時間ウォーキングし、実家に通い介護に専念しています。
最近は、月2回ショートステイが利用できるようになり、この時が自分のフリータイムと成りました。
地域の奉仕活動も結構大変ですが、可能な限り心にゆとりある時間を持ちたいと参加しています。その合間をぬって趣味のデジカメを背負い、社寺・庭園を訪ね撮影を楽しんでいます。
まだまだ 夢を抱くところまで余裕が持てないところです・・・・・
■今楽しんでいること、これから楽しみたいこと
当分は、今楽しんでいる 社寺・庭園訪ねを続けたいと思っています。
■そのために今準備していることは・・・
母の介護生活が終わったら、家内と二人で好きな旅行を楽しみたいと思っていますが、母が百歳を迎える迄まだ9年あり、準備時間は十分あると思い、折に触れぼちぼち訪問先を綴っているところです。
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しろくま 1958年生 北海道在住 ネットショップ管理人
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私は以前、ソフトウェア開発と携帯電話の普及に務めていました。
その時は現場巡りで、健康でいられました。
しかし、現場経験を積むと、今度は準管理職に廻されて、デスクワークや十数億のお金の管理の日々で、さすがに心と体のバランスを崩してしまいました。
何度も何度も自問自答しました。年収1千万円で病院通いする生活と、この年収を捨てて健康な生活と、どっちがいいのだろう???
1年間悩んだ末に心に健康な生活を選択し、転職を決心しました。
次ページへ続く
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たけちゃん 1941年生 京都在住 『菊に囲まれた第2の人生』
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私は今年 永年勤務した会社を退職しました。
退職後の生活設計は約10年前から いろいろとやりたい事を想い巡らせていました。
時間に追われること無く気ままに、好きなカメラとアウトドアライフを楽しむため全国を旅したい。又、好きなオーディオで自室をシアタールームにして撮った写真をスライドショーにしたり、クラシック音楽から演歌までいろいろなジャンルの音楽を気ままにゆったりした気分ですごしたい。
庭に出て菊花や草花の手入れ、ときには日曜大工もしたい。会社関係以外の人とできるだけ多くの人との交流 などなどいろいろ考えていました。
私のこうした数々のやりたい事柄を大きく方向付けたのが会社のOB会で隣り合わせた 菊の達人・神様と言われる方との出会いからです。
その方とお弟子さんから、5号鉢で60鉢の菊を頂きました。花壇が十分組める数です。その上花壇展示段組・色・寸法・種類を書いた一覧表や培養土・肥料が用意されており感激しました。
今では先生方や菊作り仲間たちと栽培打合せ・旅行など集まれば菊談義がつきません。
菊に癒されている生活で満足度90%です。今後は残り10%の比率をもう少し広げ他のことにも目を向けたいと思っています。
あるとき気がついたことに、菊作りをとおして在職中には殆どなかった地域や種々先人・仲間との交流が増したことで一つの目標は達しています。
これからもゆっくり一つずつ夢を追うつもりです。
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Sm 1942年生 三重県在住 無職
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3年前にアルミサッシ建材メーカーを定年退職して、さあーこれからは開放感いっぱいの余生を満喫するぞ??と意気込んではじめた農作業でした。「晴耕雨読」、、文字通りの生活です。
だが、、ものの3ヶ月と経ない内に、この「退屈!」な生活にすっかり飽きてしまいました。
贅沢な!悩み!、、時間が有り余った生活ほど「長くて退屈」な日々はありません。
俺の望んだ余生はこんなはずではなかった!生きがいって?何だろう?、、もっとばら色の桃源郷はどこにあるのか?、
あちこち探し求めて、毎日、図書館、文化センター、生涯学習センター通いが続きました。時にはぼんやりと図書館の椅子に座って何度も新聞を読み返す日々が続きました。道行く若い女性の胸のふくらみやお尻を眺めている日もありました。
そしてやっと見つけた、写真講座、民謡講座、歴史講座です。年に1度の写真展への出品、年2回の民謡発表会での舞台出場。今はさらにボランテイアで「里山公園つくり」にも参加して、月に1度の会合と里山公園つくり作業に汗を流しています。
これが私の「生きがい!」なのか?、いやいやまだこれからも手探りの試行錯誤は続くだろうー?一生かかっても探し当てられない生きがい探しの旅なのかもしれない。
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修平 1956年生 千葉在住 自営業(飲食店)
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自営業は定年が無いので気力と身体の続く限り働く事が出来ます。
幸いに家族で経営が出来、息子に跡を継がせるつもりでいます。
会社員の経験もありますが、定年と言う言葉は嫌いです。。
要はやる気。ある程度の地位に就き収入も有るとそれ以下の仕事は出来ない。。なんて考えの方も有って今までの誇りや見栄を捨てきれず仕事を選ぶ。。。つまり仕事が無い!
自分から会社を飛び出すぐらいの気持ちを持ちたいですね。
定年後と言う枠では考えてません。
五年ほど前からシニアのタレント事務所に所属し、エキストラやCMのオーディションなどに挑戦しております。幾つになっても自分の適職は分かりません。。笑 日々挑戦のつもりです。
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カンクロウ(勘九朗) 1942年生 京都住在 「天下御免の放浪素浪人」
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■定年ということについての自分の考え方
サラリーマン生活45年目に、今年リタイアしました。
今から思えば、無我夢中で過ぎ去りました。
定年と言う言葉を、意識したのは60歳(還暦)からでしょう。
定年は、会社から通告されるまでは、深刻には思わなかったが、社会と組織から開放される定年。そのために、早い時期に、「自立した個」 としての目覚めに自覚すべきであった事を反省している。
これからの若い世代は、自分の定年は自分で決める。
そのためには、若い時から、組織(群れ)から離れても技(牙)を磨いておく心がけを、持続することが大切と痛感する。
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凡太郎 1951年生 東京在住 教育関連自営
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私は、昔でいうと定年の年です。今は多少延長されて60歳を 定年とする企業などが多いようですが、この年では、皆、現役バリバリ という状態ではないでしょうか。私は自営業ですので、基本的に定年はありませんが、年とともに 仕事の内容は変化していきます。 これからの人生を考えてみるという機会は、今がその一つの節目なのかなと 思います。
「今を生きる」という言葉がありますが、これからだんだん短くなる人生 を有意義に生きたい。人のために何かできることで貢献していきたい。 経済的に余裕があるわけではありませんが、決して背伸びをするのでなく 世のため、人のために今できることは何かを徐々に考えていきたいと思って います。
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無禅 1944年生 富山県住在 無職
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■定年ということについての自分の考え方
→定年万歳です。
■定年後の過ごし方、夢
→毎日それなりに楽しんでいます。色んな人との関わりがありますので。
■定年を迎えられた方は今楽しんでいること、これから楽しみたいこと
→スポ−ツとお絵かきです。
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myuu 1953年生 京都住在 SOHO関連 |
わたしは中途リタイア組です。まだ、定年の年齢ではなく、かといって再就職できる年代ではなく、わたしの目の前にあるのはPC一台。それならば、このPCで何とかできないかと思ったのがSOHOです。
今では全国に沢山仲間ができて、その繋がりを楽しんでいます。絵を描くことが好きなので、スケッチブックを片手に全国の仲間を渡り歩くのもいいかな・・なんて、楽しい夢を膨らませています。 |