心理ゲーム分析
「交流分析でいう心理ゲームとは、楽しいものではなく、むしろ人に不快な気持ちを与えるもので、人間関係においてトラブルやストレスの原因ともなるゲームを指します。
E・バーンは「ゲームとは、明瞭で予測可能な結果に向かって進行しつつある、一連の相補的・裏面的交流をいう」と定義しています。
ゲームには一定の公式があります。
「仕掛人」+「乗せられる人」=「応答」→「切り替え」→「混乱」→「結末」(ラケット感情)
ゲームは無意識のうちに成人Aの気づきなしに行われ、繰り返されます。結末は相互にあと味が悪く、ラケット感情という不愉快な感情が残ります。
母親が子どもとの間で演じる「さあ、とっちめてやるぞ」のゲームを例に挙げてみます。
母親「さあ、○○ちゃん、カバンをもっていらっしゃい。お母さんが勉強をみてあげますからね。終わったら一緒にケーキを食べましょう。」
(子どもが宿題を始めると、数分もしないうちに母親によって沈黙が破られる。)
母親「さっさと答えを書いたらどう?」「また、間違った。あんた学校で何習ってんのよ?」
(それに対して子どもが逆らったりすると、母親の非難がますますエスカレート。やがて両者の間が混乱。)
母親「あんたはどうしてそんなに頭が悪いの。遊んでばかりいるからよ。」
子ども「だって、お母さんの言うとおりやったら、こうなったんじゃないか。自分で言ったくせに・・」
母親「何ですか、お母さんのせいにして。ちょっとノートをかしてごらん。」
子ども「・・・・・」
(母親が宿題を横取りしてやっているそばで、子どもは宙を仰ぐことになる。母親の非難が頂点に達すると、隠れていたメッセージが現れる。)
母親「もう、お母さんはあんたのことなんか知りませんよ。こんなことでいい学校なんか入れるもんですか。お母さんは本当にガッカリ。・・・もうケーキなんかあげません。」
この場合、「仕掛人」は母親であり、子どもは「乗せられる人」といえる。
この種のゲームは、子どもが泣き泣きベッドに入るときに結末を迎える。「どうして、僕はいつもこんな目にあうんだろう。」と、子どもは眠りにつくまで憂鬱な気持ちを味わう。一方、母親は怒りを発散したことで落ち着いたように見えるが、我が子の寝顔を覗くとき、激しい後悔の念にかられる。「ああ、またやってしまった。どうして私って、こうなんでしょう。」という、後悔をともなう不快な感情だけが残る。
しかし、両者ともこうした不快な感情や、否定的な自己評価が、再び明日から同じゲームを繰り返す動因になっていることについては、認識を欠いているのである。
人は何故ゲームを行うのでしょうか。
*人は孤独になってストローク飢餓になると、否定的なストロークによる心理ゲームで飢餓を癒そうとすること。
*ゲームを行うことによって、時間を構造化しようとすること。
*「OKではない」という、基本的態度を維持しようとすること。
*ゲームをすることによって、人生の脚本を進展させて行こうとすること。
ゲームをやめるためには
*ゲームが存在していることに気づく
*役割を演じることをやめる
*否定的ストロークを肯定的ストロークに変える
*ゲームについて相手とよく話し合う
*最悪の事態のときは逃げ出す
職場や家庭の中で、私たちは無意識のうちにさまざまな心理ゲームを行っています。
心理ゲームは多くの場合、それを始めた人自身や周囲の人に不快な感情を引き起こし、人間関係のトラブルの元を作ってしまうのです。
自分が知らずに演じている心理的ゲームに気づき、ゲームをせずに率直でオープンな人間関係を築きたいものですね。