人生には、たくさんの不安や心配事があります。

突然リストラされてしまったらどうしよう...
ケガや病気になってしまったら...
何かの事件や事故に巻き込まれたら...

そんな「もしも」のときのために、たとえば、お金を蓄えるということで備えることもできます。

失業したり、病気で働くことができなくなってもしばらくは暮らしていけるくらいの額があれば、とりあえずは安心できるでしょう。

だけど、その安心はそう長続きせず、すぐに「次の仕事がなかなか見つからなかったら...」「病気が重くて、予想以上の治療費が必要になったら...」などと不安に思ってしまうことも多いようですね。

すると、再び安心を得るためには、もっとたくさんの金額を蓄えることが必要だと思うことになってしまいます。

さらには、たとえひとつの心配がなくなったとしても、「もしも自分が事故を起こして、多額の賠償が必要になったらどうしよう」、「子供の学費が、思っていたよりも高額だったら」などと、ほかの不安を感じてきたりするのです。

いくら保険に入っているといっても、そんなことを思っている限り、充分ではありません。
どれだけのお金を蓄えていても、本当の安心を得ることは難しいでしょう。

それに、たくさん貯金ができればできたで、今度は、それをすべて失くしてはしまわないかという新たな不安も生まれてきたりもしますよね。
 
そう...

自分の外側にある「不安」や「心配」に意識を向けている限り、どんなに備えていても、本当の「安心」を感じることはできないようです。

では、内側に意識を向けてみたとしたらどうでしょうか。

「リストラされたらどうしよう」と心配する代わりに、自分の仕事のスキルアップを図ったり、専門的な技術を身につけたりして、他の職場でもすぐに通用するように自分を磨くのです。

「病気になったら...」と不安に思う代わりに、自分の健康を維持できるように気を配ったりします。

もちろんある程度の蓄えは必要でしょうが、自分の内側の安心に意識を向けると、すぐに本当の安心を手に入れることができるのではないでしょうか。

本当の安心があれば、必要のない不安は消えるものです。


同じことが、人生における他のことにも言えるようですね。

「平和」が欲しいのなら、外側の争いではなく、自分の内側の平和に光を当て、自分ができることをやってみましょう。

...すると、すぐに平和を得ることができるでしょう。

「幸せ」を望むのなら、自分の内側にある幸せを感じ、それをまわりの人にも伝えてみましょう。

...すると、それだけであなたは幸せになるでしょう。

「愛」を感じたいのなら、自分のなかの愛に触れてみましょう。
私たちは、すべて大いなる愛に満ちた存在なのだということを思いだしてみましょう。

そして、自分のまわりにも愛を持って、すべてを受け容れてみるのです。
愛と感謝で生きてみるのです。


...ほら、もうはじまっていますよ。
今から、あなたのまわりに、どんな奇蹟が起こるのか楽しみですね。