機械が故障したら、「直し」ます。
人が病気にかかれば、「治し」ます。

「直す、治す」とは、「本来あるべき状態」でなくなってしまったものを、元に戻すという意味があるようです。

でも、同じ「本来あるべき状態」からはずれているように思える、「喉が渇いた」ときや、「心の悩み」を抱えているときはどうでしょう。

あまり、喉の渇きを「治す」とか、心の悩みを「直す」とは言わないようですね。
そんなときには、「喉の渇きを『癒す』」、「心の悩みを『癒す』」というように、「癒す」ということばが使われることが多いのではないでしょうか。

これは、「喉の渇き」や「心」には、みんなに共通の「本来あるべき姿」というものが存在しない、ということを表しているようです。

喉の渇きを元に戻すのに、どれだけ水を飲めばいいのかは、そのときと場合、そしてその人によって全く違ってくるでしょうし、たとえ一時は渇きがなくなったとしても、ずっとその状態が続くのではなく、またいつかは渇いてくるということもわかっています。
 
心だって、どんな状態になればいいのかは、人それぞれですし、同じ人でも状況によって違ってくるでしょう。
とても、これが「本来あるべき姿」だという万人に共通するものをみつけることはできませんし、たとえあったとしても、ずっとその状態にいることは難しいですよね。

「癒」という字に、「病」や「疾」などと同じように「やまいだれ」がついているのは、他から見れば「本来あるべき姿」でないように思えるかも知れないけれど、それでもその人が安らげばいいんだよ、ということを教えてくれているような気がします。

そういえば病気やケガでも、「癒す」ということがありますが、それは完全に元に戻ることを期待していないときに使われるような気がします。
治らない病気やケガでも、それを持ちながらも、よりよく生きていこうということを表現しているようですね。

つまり自分にとっての今の姿が、「本来のあるべき姿」であるのだということを受け入れてみよう。
そうすれば、とても心が安らぐし、そこからすべてをはじめることができるよということなのですよね。

そんな漢字の使い分けをしているのですから、私たちにはどこかでそれがわかっているのでしょう。

でも、ついつい人と自分を比べて、自分は「本来あるべき姿」ではない、と嘆きます。
そして、ああなろう、こうなろう、あれが必要だ、これが足りないと、自分を責めてしまいます。

でも、他の人との比較では、いつまでたっても本当の自分を知ることはできません。
本当の自分が見えなくては、自分が何がしたいのか、どこへいきたいのかもわからないし、いつも不安を感じてしまうでしょう。

また、自分と他人を比べて、その人を「本来あるべき姿」ではない、とイライラする人たちもいます。
あの人は、こうするべきだ、もっとこうしなければならない、と何でも他の人のせいにしてしまいます。

そんな人も、本当には自分の「あるがままの姿」見ているわけではないようです。
自分の信じ込みのなかの、「本来あるべき姿」を追いかけていて、それに外れている他の人を許すことはできないし、自分では気がついていなくても、何より自分が自分をいちばん許してはいないのです。

そんな人たちは、いつも心が安らぐことはないでしょう。

 
もしよければ、自分の胸に手を当てて、自分を感じて、今の自分を認めて受け入れるということからはじめてみてください。
それが、すべての人をあうがままに受け入れることにつながっていくのです。
そして、この世界を「癒し」、平和で満たすということになるのです。

何より自分が「癒され」て、とても心が安らぐでしょう。
そんな人こそが、きっといちばん強い人なのでしょうね。