仏教のたとえ話に、こんなものがあります。

 
ある町に、とても美しい女の人がいました、
誰が見ても感嘆の声を漏らすほどの美人でしたが、本人は、自分の鼻の形だけが気に入っていませんでした。

「この鼻さえ、もっと整っていたら、私は、もっと美しくなれるのに...」
彼女は、毎日、そう嘆いていたということです。

そこで、彼女の夫は、妻のために新しい鼻を手に入れようと町に出ることにしました。
すると、とても美しい鼻を持った女の人が通りがかったのです。

夫は、いきなりその女の人を押さえつけ、持っていた刀で鼻を切り落としてしまいました。
そして、喜び勇んで家に帰り、「これでお前の鼻もキレイになり、完璧な美人になれるぞ」と言うなり、妻の鼻も切り落としたのです。

夫は、新しい鼻を妻の顔に付けようとしますが、もちろん、他の人の鼻がひっつくはずがありません。

あわてて、妻の元の鼻を押し当てますが、それもうまくいきません。

結局、鼻を切り取られてしまった女性も、美しかった妻も、鼻をなくしてしまったのでした。


私たちのなかには、長所もあるし短所もあります。

短所を何とかしたいと思うのはいいのですが、他の人と比べて、
 「ここがダメだ」
 「これが足りない」
 「あの人の、こんな長所が欲しい」 
などと考えているとしたら、自分の鼻を切り取ってしまうようなものかも知れませんよ。

だって、自分で欠点だと思っていることも、自分の一部なのです。
長所も欠点も、すべてがあって、はじめて自分なのですから。

誰しも、自分のいいところを受け容れることは簡単です。
でも、短所やいやなところを受け容れるのは、なかなか難しいことですよね。

ついつい、
 「こんなところがなかったら...」
 「自分の、ここが嫌いだ」
と思ってしまいます。

だけど、短所は否定していると、いつまでも欠点のままですあが、受け容れてみれば、自分の個性になるのです。
そして、受け容れてはじめて、今の自分が学ぶべきことが見えてきたりします。

 消極的と慎重さ。
 無鉄砲と勇気。
 気弱さと優しさ。

これは、私たちのなかの同じ要素を言っているのです。

否定するのではなく、受け容れてみると、その要素のプラスの面が現れるし、理想とすべきことが見えてくるようです。

そう、あなたのなかの、どんな要素も、すべては貴重でかけがえのないものなのです。
そして、あなたが、この世界に生まれて、自分を楽しむために必要なことなことなのでしょう。

自分を受け容れるということは、良いところも、それ以外のところも、すべてを味わい、その要素をもっと向上させていくこと。

今、気になっていることは、気づきのメッセージを与えてくれているのでしょう。

どれほど美しくても、鼻というたったひとつの要素が気に入らないだけで、それを楽しめないなんてばかげていますね。
ましてや、他の人の鼻をつけようとするのは、ただ不幸を増すだけになってしまうでしょう。

それよりも、今の自分をまるごと受け容れて、もっと生きることを楽しんでみましょうよ。

今までも、これからも、私たちはいつも完璧な自分だったのですから。