どうして悩みを感じるのでしょうか。
たとえば、一度にいくつものものを持とうとしているときに悩みは生まれます。
「結婚したいが、今の独身の気楽な生活も捨てがたい」
「会社を辞めたいが、安定した収入も持っていたい」
ひとつのものを持とうとしたら、もうひとつのものは手放さなければなりません。
どちらかに決めることができないから、悩むことになってしまうのですね。
決めてしまえば、前に進んでいくことができます。
その道の途中での出来事から、さまざまなものを学ぶこともできるのです。
自分を否定しているときにも悩みを感じます。
今の自分に満足できないと、
「こんなところがダメだ」
「これが足りない」
と、自分を小さくしてしまうことになります。
すると、本当はできることもできなくなりますし、新しいことにチャレンジする気もなくなるでしょう。
そんなとき、あなたはどこを見ているのですか?
誰か他の人と比べたり、今よりもっと高い基準を持っていて、そこに自分が達していないからダメだと思ってはいないでしょうか。
そう...
確かに、今は、もう一段高い新たなステージに上がるときなのでしょう。
しかし、そのためには、今の段階の自分を認めて、受け容れる必要があるのです。
それができないから、悩みは生まれるのでしょうね。
まず、自分に目を向けて、いいところ、達成したことを見てみることからはじめてみましょうよ。
悩みは、安全地帯に身を潜めているときにも感じます。
確かに、外は険しい道が続いているのかも知れません。
尖った岩が突き出ていたり、茨のトゲが肌を切り裂こうと待ち受けているように思えたりもするでしょう。
だけど、ずっと安全地帯にいたままではどこへも行けません。
こんな例を考えてみるとわかりやすいでしょうか。
私は、学生時代、定期テストや長期休暇の前になると、毎日の勉強の計画表をつくりました。
ところが、すぐに計画通りにはいかなくなり、また計画を練り直すことになってしまいます。
そんなことの繰り返しで、結局は、ほとんど勉強はできずに、計画ばかりを立てていたということが何度もありました。
計画を作っているときには、勉強はしなくてもいいのです。
勉強をしなくてもいいのなら楽ですし、自分の不足しているところを思い知らされることもありません。
計画をたてるという安全地帯にいるのなら、傷つくこともないのです。
つまり、悩んでいる間は、何が起こるかわからない外の世界へ踏み込んで行かなくてもいいのです。
残念なことに、安全地帯にいては、いつまでたっても前に進んでいくことはできません。
もちろん、安全地帯にいることが必要なときや、そこにいるのがふさわしい人もいるでしょう。
でも、悩みを感じているということは、あなたの本質が、外への一歩を踏み出したいと望んでいる証拠です。
悩みがあるから、私たちは、普段では考えないようなことを考えたり、アンテナを広げて、気づきのきっかけを探そうとします。
それが、より成長するための栄養になるのですね。
気づいていました?
今まで見てきたように、悩みを感じているときというのは、今の自分から、もう一回り大きくなるときに感じているということを。