将棋の真剣勝負では、『待った』はききません。
たとえミスをして、「しまった!」と思っても、戻ってやり直すことはできないし、相手に見逃してもらうことを期待しても、そううまくはいかないことが多いですね。
そんなとき、
「あのとき、ああしていれば...」
「あんな手を打たなければ...」
と悔やんでいては、ただ時間を無駄に過ごすだけです。
同じ時間を使うのなら、自分のやってしまった失敗を、少しでも取り戻せるように知恵を絞って前に進んだ方が、ずっと賢明でしょう。
また、対局が自分が思っているように進まないときなどに、こんなことを思ってしまう瞬間があるかも知れません。
「この駒が銀じゃなくて飛車だったらなあ」
「桂馬が前に進むことができたら」
「相手がミスをしてくれないものか」
だけど、今、目の前にある将棋盤が、間違いない現状のすべてだし、もちろんルールを変えることもできないし、考えているようにはいかないのが勝負ですね。
それだからこそ、楽しいし、もっと上達したいと願うし、いろいろと学ぶことも多いのです。
野球の試合でも、ちゃんとルールは決められています。
相手のチームはツーアウトで交代なのに、自分のチームは5つまでアウトになってもいいとか、自分が有利なようにストライクゾーンを決めることができる。
...もし、そんなことが許されるのなら、必ず勝てるでしょうし、気持ちがよいかも知れませんが、ゲームとしては意味がないでしょう。
こんなことで相手に勝ったとしても、自分の成長のためには何も得るものもないし、後味も悪いのではないでしょうか。
決められたことは、誰でも、決められたように守る。
できることはできるし、できないことはできない。
そして、今、目の前で起こっていることは、いくら願っていても変えることはできないのです。
決められたルールのなかで、自分の力で、少しでもよい結果になるように努力する。
それが、将棋や野球に限らず、ゲームの醍醐味ですね。
これは、私たちの人生だって同じです。
いいときもあれば、苦しいときもある。
自分が持っている、才能、時間、資産、仲間は、限られているし、他の人と比較してみれば、むしろ乏しいと思えることもある。
思わぬ失敗や、予期せぬ不幸に見舞われることもあるでしょう。
そんなとき、いつまでも過去を悔やんだり、今の自分を無力だと思ったり、不運を嘆いていても、仕方がありません。
...そんなルールのなかで、自分らしくがんばって、夢を叶えるというゴールに進むのが人生というゲームです。
そのなかで、いろいろな気づきをもらったり、大切なことを学んだりすることが、私たちの成長です。
苦しいのは、目の前の出来事に遭ったからではなくて、多くの場合は、変えることのできない現実を、一生懸命に変えようとしていたり、悔やんでいたり、決められたルールを受け容れることができないでいるからだったのですね。
大丈夫!
何も悩むことは、ありません。
すべてを信じて、目の前にあることとルールを受け容れてみれば、必ず最後は望むようになっていくのです。
あなたは、人生というゲームを愛して、学び、そして、楽しむために生まれてきたのですから。