夏目漱石の『夢十夜』という小説のなかに、こんなお話があります。
主人公は、自分が大きな船に乗っていることに気づきます。この船は、毎日毎日、登る太陽を追いかけて、果てしのない海を進んでばかりいるようで、どこへいくとも知れません。
そこで主人公は、船員に行先を尋ねますが、どうもはっきりとした答えが返って来ずに、不安を覚えます。
船の同乗者には、さまざまな国の人たちが、数多くいました。手すりにもたれて泣いている人、神への信仰を説く人、サロンで二人きりの世界に浸っているカップル...
主人公は、そんな船や同乗者が詰まらなく思え、船から飛び降りることにします。
しかし、海に落ちる途中で主人公は、「自分は、どこへ行くんだかわからない船でも、やっぱり乗っている方がよかった」ということを悟りますが、その悟りを生かすこともできずに、深い後悔と恐怖を感じることになってしまいます。
これは、小説のなかの夢物語ですが、何となくいろいろなことを教えてくれているような気がします。
あるカウンセラーに言わせると、クライアントが抱える問題や状態は、さまざまですが、彼らの本当の望みはたったひとつしかないそうです。
それは、「より楽に生きて幸せになりたい」ということだということです。
そんな人たちを邪魔しているのは、表面的には、身体の健康状態や恋愛問題、あるいは財政状態などに見えます。
ところが実際には、ある偏った思考パターンのせいで、望むところへ向かうことができないということの方が重要な問題のようです。
どんなに大きな不幸に見舞われても、困難な出来事に出会おうとも、私たちには、自分の道を切り拓き、前に進んでいくことができるはずです。
でも、目の前の不幸や困難に引っかかってしまうと、それだけしか見ることができずに、他の多くの可能性に気づくことができなくなってしまうのです。
本当は、苦しいとき辛いときこそが、私たちがもっと大きくなっていけるときなのです。
そして、そんなときにこそ、より多くの気づきが、やってくることが多いような気がします。
たとえば、どんなに気になることがあっても、水泳をしていれば、他のことを考えていれば溺れてしまいます。
テニスをしていれば、自分のことばかりに気を取られているわけにもいかず、走り回って球を追うことでしょう。
ひとつの場所、自分の内側に向いた精神のエネルギーが、外に向かえば、いろいろな可能性が見えてきて、悩んでいたことがバカらしくなってしまうかかも知れません。
人生も、目の前のことから逃げず、かといって一生懸命になりすぎずに、立ち向かって行けば、いろいろなことが見えてくることでしょう。
そうすると、少々詰まらないと思っていた船旅だって、楽しみながら過ごすこともできるでしょうね。