水を入れた大きな水槽を、小さな穴がたくさん空いた透明のガラスでふたつに仕切ります。
その水槽の片方には、サメを入れ、もう片方にはサメのエサになるような魚を何匹か入れてみます。

お腹を空かせたサメは、魚のにおいを嗅ぎつけて、突進しようとしますが、ガラスの仕切にぶつかって跳ね返されてしまいます。
サメは、何度も小魚を捕まえようと挑戦しますが、やがて力尽きて、水槽の底に横たわってしまします。

その後で、仕切のガラスを外してみても、もうサメは、魚に向かっていったりはしなくなるということです。
 
なぜなら、サメは、「いくら全力を尽くしても、魚を捕まえることができない」とあきらめてしまって、チャレンジしようともしなくなるからです。

 
これはサメによる実験ですが、私たちだって、知らぬ間に自分のまわりに見えないガラスの壁を張りめぐらせているのかも知れませんよ。

やりたいことがあっても、
「自分には、とても無理だ」
「才能も、お金もないし...」
などと、挑戦する前からあきらめてしまったりしているのです。

「できない」理由を探してみれば、きっと、いくらでも見つかるでしょう。
でも、ひょっとしたら、それこそが、もはや存在しないガラスの仕切なのかも知れません。

見えないガラスの壁は、過去の失敗したり、自分の限界を感じたときの体験から、自分で創りあげたものなのでしょう。
でも、昨日は難しかったことが、今日には簡単になっているかも知れません。
子供の頃には、不可能と思えたことでも、大人になってみると易しいことだったとくこともあるでしょう。

存在しない壁で、自分の世界を小さく限定させておく必要はありません。
「できる」「できない」を決めているのは、本当は自分自身のようですね。

 
作者不詳の、『人生の時計』という、こんな詩をご存じでしょうか。

  人生の時計は、一度しかねじをまかない
  その針がいつ止まるか、遅くか、それとももっと早くか、誰も知らない
  今だけがあなたの時間だ
  生きよ、愛せ、そして心を尽くして働け
  明日があると思ってはならない
  なぜなら、その時、人生の針は止まっているかもしれないから...

「何をやりたいのか」、「やりたくないのか」、そして、人生の一瞬一瞬をどう生きるのかを選ぶのも、いつだって私たち自身なんですよね。