以前、勉強のために、民間医療の治療家として開業している知人の治療現場を見学させていただいていたことがあります。
 
そのときの患者さんは、まだ若い女性で、左肩のところに赤黒く盛り上がった大きな傷跡があります。

詳しい事情はわかりませんが、男女関係のトラブルから、刃物で切りつけられてできた傷のようです。
もう何年も前の傷で、すぐに手当てを受けていて、完治しているはずなのに、傷跡がいつまでも消えないし、ときどき激しく痛むこともあるといいます。

「お医者さんは、これ以上どうしようもないって...」

その女性は、すがるような目を知人に向けました。

今でも、相手の男性に切りつけられたときのことを夢に見て、恐怖のあまり目覚めてしまったり、突然、身体が震えだすこともあるそうです。

知人は、そんな女性の話を聞くと治療をはじめました。

はじめのうち、私には、ただ知人が女性の傷跡に両手を当てているだけのように思えていました。

ところがよく見てみると、患部に当てた知人の手が、微妙に動いているように感じられます。
 
目を閉じて意識集中しているように見える知人の手が、上へ行ったり、左右に行ったり、ほんのわずかずつですが移動しているのです。

そんなことが数分ほど続いた後、知人は、静かに手を離し、「さあ、どうですか?」と、女性の顔を見ます。

女性は、ハッと我に返ったようにあわてて傷跡に目をやり、驚いたのか、息を呑んで、そこに手を何度も触れています。

そう、さっきまであんなに痛々しく盛り上がっていた傷跡が、今は、あまり目立たなくなっているのです。

もちろん、完全に消えるというところまでは行きませんが、私が見ても、かなり色が薄くなっているのがわかります。

あと何度か治療を繰り返すと、傷跡は、もう気にならなくなりますよ、と知人に言われ、女性は、うれしいような半信半疑なような表情で帰って行きました。

後ほど知人が教えてくれたところによると、女性の傷は、もう完全に治っているのに、傷を受けたときの恐怖やショックが、いつまでも傷跡の細胞に残っていたのだということです。
 
手を当てているときに、動いていたのは、知人の手ではなくて、傷跡の細胞なのです。
今まで、しっかりと握り締めていた、そのときの恐怖の感情を手放すために必要な動きだったそうです。

「細胞は、もう同じ痛みを避けるために、恐怖を掴み続けているのですよ」

知人は、そんなことを言いました。

同じような痛み、恐怖、苦しさから身を守るために、細胞は、いつまでもその記憶を保持し続けます。

女性の場合は、生々しい傷跡が残ることによって、そのときの痛みを何度も思い出させるようにしていたのか、新たな男女の関係を持つことを避けていたのでしょうか。


知人が過去に治療した経験にも、次のような例があったそうです。
 
いつまでも手首に激しい痛みを抱えて、仕事ができなくなった外科医を診たときのこと。

知人が手を当てるや否や、手首だけでなく、腕全体が動き出しはじめ、それが1時間近くも続きました。

動きが収まって、知人が手を離したときには、外科医の手首の痛みは、ほとんど無くなっていたのですが、外科医は、「今の動きは、私がした手術のときの再現だ...」と、感慨深げに語ってくれたそうです。

外科医は、その手術で小さなミスをしてしまって、それ以来、手首が痛むようになったということを思いだしたのです。

...そのショックから、もうミスをしないように、手術をしないで済むように、手首が痛みを感じていたのかも知れません。


最後に治療家の知人は、こんなことを話してくれました。

「川はただ流れている。岩があろうと、木が倒れてこようと、川は、自然にそれを避けるようにして、ただ流れていく。岩や木という障害物を認めて、それに逆らおうとするときに、流れが妨げられたり、思いもしないところに流されていったりする。人間だって、問題や悩みを感じているときには、振り返ってごらん。たいていは、何かに逆らったり、抵抗しているときだから」


私が、『受け容れることの強さ』を感じた瞬間でした。