大地に一本の棒が立っているとします。
その棒は、ゴムのひもで、あちこちから引っ張られています。
すべてのゴムひもがバランスよく引っ張り合っているので、棒はどの方向にも傾くことなく、まっすぐに立っていることができています。
ところが、あるとき棒が傾きはじめました。
棒を支えている何本かのゴムひもの力が弱くなってきたようで、均衡していたバランスが崩れてしまったのです。
すると、弱くなったのとは反対側のゴムひもがグッと縮まり、堅くなってしまうことになってしまいました。
わかりやすいように、この棒が2本のゴムひもに相反する方向から引っ張られていたとします。
一方のゴムひもの力が緩むと、もう一方のゴムひもの引っ張る力は変わっていないわけですから、棒はそっちの方向に引っ張られてしまうことになります。
そして結果的に、同じ力で引っ張っているゴムひもは縮み堅くなってしまいます。
この場合、問題なのは堅くなったゴムひもではなく、その反対側の弱くなったゴムひもなのですよね。
もしも、棒のバランスを取り戻そうとすれば、弱くなって伸びてしまったゴムひもを何とかする必要があるでしょう。
ところが一見すると、その反対側のゴムひもが引っ張りすぎて、棒が傾いているように思えますし、縮んで堅くなったところは何かよくないように目につきます。
その堅くなったゴムひもをいくら何とか直そうとしたり、別のものと取り替えようとしても、傾いた棒が元に戻ることはないですよね。
なぜなら、そのゴムひもには何も問題はないのですから。
私たちの心もこの棒のように、いろいろな感情というゴムひもによって支えられているようです。
このゴムひもの力のバランスが取れていれば、心は安定して立っていられます。
でも、どこかが弱くなってしまうと、心はその反対側に傾くことになってしまうでしょう。
そんなとき、私たちは何か問題を感じてしまうのではないでしょうか。
そして、その問題は、さっき見たように弱くなったゴムひもではなく、その反対側に顔を覗かせることが多いようです。
ですから私たちは、その顔をだした問題を何とかしようと、一生懸命にがんばってしまうのです。
だけど、この努力は、きっとうまく行くことはないでしょう。
だって本当の問題は、そこにはないのですから。
たとえば、知識やお金、地位や名誉などを持つことで自分に自信をつけようとする人がいます。
心を安定させるためには、もっとたくさんのものを手に入れて身を守らねばと躍起になっているのです。
でも、いくら多くのものを持っても、その人の心は、いつまでたっても安定することはないでしょう。
なぜなら、その人の本当の問題は、自信を持たなくてはならないということではなくて、不安を感じているものから逃げようとしているということかも知れないのです。
本当に自信を持つためには、たくさんのものを手に入れるのではなくて、何かに立ち向かっていく必要があるようです。
また、自分はいつも完璧でなければならないと思っている人たちもいます。
いつも最高でなければ、自分の値打ちはないし、常にがんばっていることが大事なんだと思い込んでいるようです。
そんな人は、自分も他人も、ある基準を満たすまではどんなことも楽しんではいけないと考えているのですが、その基準はとても手の届かないような高いところにあることが多いのです。
心を安定させるためには、もっとがんばって、もっと自分を変えなくては、とさらに努力を続けますし、他の人やまわりの環境も、こうあるべきだと思うようにコントロールしようとします。
もちろん、そんなことをいくら続けても、心の棒の傾きは元に戻るどころか、
もっともっと傾いて、ますます心が苦しくなってくるでしょう。
本当の問題は、そこにはないのです。
そんな人たちに、本当に必要なこと。
それはもちろん、今の自分が自分であるということを許してあげることだけなのですよね。