たとえば、小さな子どもが、ガス台の上で湯気を立てているヤカンに触れかけたとします。

当然、熱さに驚いて、子どもは瞬間的に手を引っ込めるでしょう。
場合によっては、やけどをしてしまったり、声をあげて泣きはじめるかも知れません。

そのとき、脳の細胞、そして、手や腕の細胞のいくつかは、

  ヤカン=熱い=危険!

といったような記憶を、掴みます。
その経験が強烈であればあるほど、しっかりと掴み込むのです

そして、次に、湯気を立てているヤカンを見たときには、頭で考えるより前に、細胞の記憶が蘇ってきて、けっして近づくまいとするでしょう。

...と、私たちのなかで、実際に、この通りの反応が起こっているかはともかく、似たような学習システムは存在するはずです。

怖いものや危険なものを何も知らずに生まれてきた私たちは、このシステムがなければ、何度も同じような危険な目に遭い、ついには命を落としてしまうことになるはずですから。

一度、ヤカンが危険だと経験した子どもは、もう火にかかったヤカンでやけどをすることはないでしょう。

さらに、そんな経験をしても、いつまでもヤカンを恐れ続けることは少なく、ある程度の年齢に成長すれば、小さなチャレンジを重ねながら、少しずつ、ガスやヤカンの扱い方を覚えていきます。

ついには、火ややけどの怖さを知りながらも、うまくヤカンでお湯を沸かすことができるようになるのです。

私たちに備わったこのシステムは、実にすばらしく、うまくできていますよね。


ところが、ときに、こんなことも起こったりしています。

幼い頃に、犬に噛まれたり、吼えられたりして、恐ろしい目に遭った人がいるとします。

この人は、それからは、なるべく犬には近づかないようにするでしょう。

特に犬に近づく必要がなければ、大きくなるまで、極力、犬を避けて暮らし続けるかも知れません。

すると、大人になっても、大型犬はもちろん、チワワのような小型犬にも、怖くて近づけないままでいることもあるでしょう。

それでも、犬が怖いくらいのことなら、生きていく上で、特に大きな問題になるものでもありませんね。
 
無理に犬を好きになる必要はないでしょうが、犬に近づけるようになるだけで、もっと交友関係が広がるとしたら...

犬小屋があって、いつも避けて通らなかった道の向こうに、自分の人生を変えるような、すばらしい体験が待っていたとしたら...

さらに、ヤカンや犬を恐れるような、何となく、その原因がわかるものばかりではなくて、なぜか、恐怖を感じてしまったり、近づくことができないものに関しては,,,


 どうしても、素直に自分を表現できない。
 人と親しくなることが怖い。
 自分だけが愛されていないように感じる。
 自分はダメで、何もできないと思っている。
 私なんかが幸せになれるはずがない...


それも、ひょっとしたら、私たちの学習システムのいたずらなのではないでしょうか。

過去に心が痛むような体験をしてしまって、その記憶が細胞と溶け合ってしまっているのです。
頭では忘れ去ってしまっていても、私たちを守るために、細胞はいつまでもその痛みの記憶を握り締めているのです。

そう、そのときには、それ以上傷つかないために、その痛みを学ぶことが必要だったのです。
細胞は、今も、痛みを避けようとがんばっているのでしょう。

でもね、もう、その痛みを手放してもいい頃なのではないでしょうか。

だって、もっと本当の自分をさらけ出してみたい、夢に向かって一歩を踏み出したい、心から愛する人に近づきたい、自分自身を信じたい、と感じているでしょう。
 
それができなくて、苦しくて、自分を変えたいと悩んでいたりしているのでしょう。

自分を変えようとするのではなく、苦しいチャレンジを自分に課すのではなく、ただ、今は必要でなくなった、過去の痛みの記憶を手放すだけなのです。

...本当に必要なのは、ちょっとした勇気だけなのです。

試すチャンスは、今、あなたの目の前にありますよ。

さあ、本当の自分の世界を創りだすために、進んでいきましょうよ。