私たちは、身の回りにうれしいことばかりが起こり、いつも楽しい気分でいられたらいいなと望んでいます。
ずっとそうなら「いい」ですね。

ところが現実は、なかなかそうは行かなくて、ときにはイヤなことに出会い、苦しんだり悲しみを感じたりすることもあるでしょう。
これはあまり「よくない」ことだと思えます。

でも、その「いい」とか「よくない」とかは、誰が決めているのでしょう。
はたして本当に、いつもいつも楽しさを感じるということが「いい」ことで悲しみや苦しみを感じることは「よくない」ことなのでしょうか。

たとえば、こんなことを考えてみてください。

ここに、ひとつの箱があるとします。
その箱の面のひとつひとつには、「楽しい」や「悲しみ」「怒り」などいろいろな感情が書いてあると思ってください。

その箱を見るのに、どの面でも自由に選んでもいいとします。
もしも、私たちが「楽しい」と書いてある面だけを選んで見ることにしたとすると、どんなことになるでしょうか。

いつもたったひとつの方向だけから見ていれば、その箱は、きっとただの四角い面だとしか思えないでしょう。
それが箱だということもわからないし、その箱の大きさや本当の全体的な形などもとても知ることはできませんよね。

ところが、ときには「悲しみ」や「苦しみ」などの他の面からも見ることを選んだとしたら、きっとその箱のことが全部知ることができるのではないでしょうか。

これは箱のなかから、外を眺めていると考えてみても同じです。
いろいろな面に窓があるのに、ただひとつの窓から外を見ることしかしないとしたら、ほんの限られた世界しか知ることはできません。

もちろん、それが「楽しい」という窓であってもです。

本当に世界を知ろうと思えば、すべての窓から外を眺める必要がありますよね。
私たちが味わう、さまざまな感情とは、そのためにあるのかも知れません。

感情とは、私たちがこの世界を知り、自分の世界を広げてくれる、ひとつの道具のようなものなのではないでしょうか。
その気持ちを味わわないと見えてこないこともあるのです。

その道具をうまく使って、この世界を眺めてみれば、「今、ここ」にいる自
分にとって、何が「いい」ことで、どれが「よくない」かがわかってくるのですが、私たちはついその道具にこだわってしまうようです。

本当に何が「いい」か「よくない」のかを知るための道具なのですが、それを使う前から、このことは「いい」とか、こんな状態は「よくない」とかを決めてしまって、勝手に「こうあらねばならない」、「そんなことではいけない」と自分を苦しめてしまうのです。

「いつも楽しくなければならない」というこだわりが、変化を恐れて自分を小さな世界へ閉じこめてしまいます。

「悲しいことがあってはならない」
そんな引っかかりが、不安や心配を創りだし、結局はその現実を呼び寄せることにもなるのです。

 
できれば、そんなこだわりを手放してみましょうよ。
うれしいことがあれば心から楽しみ、つらいことがあれば思いっきり悲しんでみて、そこから見えてくるものを大切にしましょう。

悲しいことでも、苦しいことでも、楽しいことでも、どんなことがあってもそこから生まれる気持ちをとことん味わうことが、私たちをもっと大きくしてくれるのです。

そんな自由な心で、この世界を見てみれば、本当はすべてが「いい」ことなんだということに気づくのでしょうね。