「あの自転車、みんな持っているから、僕にも買って!」
「ふつう夏休みには海へ旅行するのよ。うちも絶対、行きましょうよ!」

子どものころに、そんなダダをこねて、親からたしなめられたことがある人も多いのではないでしょうか。

子どもにとっては、『みんな』とは仲のよい数人の友達でしたし、『ふつう』は、その人たちの行動や状態だったのです。
そして、『みんな』と同じものを持つことや『ふつう』していることを、自分もして、彼らと同じになることがとても大きな意味を持っていたのです。

なぜなら、子どもには、大事な友人たちこそが自分の社会的な人間関係のすべてだったのです。
受け入れてもらうためには、『みんな』と同じであることが大事だったのです。

ところが、大人になった今でも、『みんな』や『ふつう』という考え方をして、自分を苦しめている人がいるようです。

たとえば、
「自分は『みんな』から嫌われているのではないだろうか・・・」
「『ふつう』は、もう結婚しているはずの歳なのに・・・」
などと考えて、悩んでしまうのです。

でも、いったい『みんな』って誰のことなのでしょうか?

自分が嫌われていると感じたのは、無視したり、こちらを避けるような行動を取る人がいたからかも知れません。

それを気にしていると、
「この人も私を変な目で見ている。そういえば、あの人も何となく冷たいように感じる」とどんどん「嫌われている」という思いが広がっていくのです。

でも、よく思い返してみたら、そんな態度を取られたのは、ほんの1,2名だったということもよくあるようです。
それも、自分の思い違いや誤解だったということがほとんどなのではないでしょうか。

仕事などで失敗をしてしまうと、まわりに白い目で見られているような気がするものですが、実際は、自分が落ち込んで心を閉ざしているから、そう感じるだけのことが多いようですね。

また、本当に自分のことを嫌っている人もいるかも知れませんが、これはどんなに立派な人でも、みんながみんなから好かれているわけでもないのです。

そんな自分の思い違いや、何人かのウマが会わない人。
それが『みんな』の正体なのではないでしょうか。


また、『ふつう』ってどんなことですか?

この世には、いろいろな人がいて、いろいろな価値観や個性を持って生きているのです。
『ふつう』とは、その最大公約数的な要素を指して言っているだけのことなのではないでしょうか。

でも、未だに、多くの人は、
「受け入れてもらうためには、『ふつう』にならなくてはいけない」子どものころの思いを引きずっているのです。

みんな』と同じように、『ふつう』の仕事をして、『ふつう』の生活をして、『ふつう』の結婚をして・・・
でも、『ふつう』になるために仕事や結婚をすることが、本当に大事なことなのでしょうか。

どんな仕事だって自分が充実できるものがいちばんですし、結婚するのでも年齢なんて関係ありません。
それよりも自分自身の個性を受け入れ、それを活かすことのできる仕事や結婚をすることこそが、本当の幸せにつながるのではないでしょうか。

自分が『ふつう』ではないということよりも、『ふつう』にならなくては、というあせりの気持ちの方が、本当は問題のようですね。


私たちが目指すべきものは、『みんな』や『ふつう』ではないようです。
それは、『みんな』や『ふつう』とは違っている自分自身という、この世にたったひとつしかないユニークな存在なのですね。