アジア人としてはじめてノーベル賞を受賞したインドの詩人タゴールが、かつてガンジス河に舟を浮かべたときのことです。

とても静かな夕暮れで、聞こえる音といえば船べりにはじける水の音だけでした。
西に傾いた夕日が、優しく水面を輝かせています。
タゴールは、ガンジス河のその壮大さにすっかり心を奪われていました。

ふとそのとき、1匹の魚が河面を打って飛び出し、舟を越えていきました。
きらりと光った銀輪の余韻が、波紋となって広がっていきます。

タゴールは、感動して思わず叫びました。
「これこそ自然だ! なんてすばらしいんだろう!」
タゴールのは、悠久の時を超えたガンジス河の荘厳な神秘さに強く心を打たれたのでした。

ところが一緒に乗っていた船頭は、残念そうにこう叫んだそうです。
「なんてこったい。あの魚が舟のなかに落ちてくれりゃよかったのに・・・もったいないことをしたぜ」

同じ世界を生きていたとしても、タゴールと船頭では、受け取り方がかなり違っていたようですね。


いくらすばらしい音楽や絵画があったとしても、聞いたり見たりする側が、それを受け取らなければ、何の意味もありません。
本当にその音楽や絵画を楽しもうと思えば、そのすばらしさをちゃんと受け取れるだけの感受性を大事にする必要があるようです。

専門知識や理論など知らなくても、いいものをただすばらしいと感じたり、心に響くものに感動することはできますよね。

これは幸福に関しても同じなのではないでしょうか。
 
いくら私たちが恵まれていても、しあわせのタネを与えられていても、それを感じる感性がなければ、やはり受け取れないことになっています。
 
ちょっと考えてみてください。
「今持っていないもので、これがあったら、もっと幸福になれる」と思うものが、どれだけありますか?

「お金」
「恋人」
「車」
人によっては、答えはいろいろあるでしょう。
その「ない」ものを手に入れていくことも幸福を感じる道ですよね。

では、「今あるもので無くなると困る」そう思うものは、どれだけあるでしょうか?

ちょっと思いつくものを書いてみても、
「空気」「水」「手や足」「命」「家族」「仕事」「テレビ」「お酒」
「映画」「本」「パソコン」・・・
これはいくらでも挙げられるようです。

よく、「別れてみて、はじめてあの人の大切さがわかった」とか、「無くしてみて、やっとありがたみを知ることができた」などということも聞きますね。

今、自分に与えられているものを感じることも幸福につながる道のようです。

どちらにせよ、「ない」ものを見るのではなくて、「ある」ものに気づこうとするこころが大切になるのですね。
それが幸福を感じる感性なのではないでしょうか。


「幸福の花」というものは、いろいろな草の生い茂る草原に小さく生えているようです。
よく探さないと、すぐに見逃してしまいます。
でも、よく見てみるとあそこにも、ここにも、たくさん生えていたことに気づくようになるのです。

そして、気づけば気づくほど、どんどん数多くみつかるようになるばかりか、
だんだん大きな花が咲いてくるということです。