ひとつのものを半分にすると、2倍になるということがあるって信じられますか?

これは仏教思想家のひろさちやさんが『「般若心経」生き方のヒント」という本に書いていらっしゃったことです。
あるとき娘さんが友達の家から、小さなケーキをひとつもらって帰ってきたそうです。

お母さん、つまりひろさんの奥さんは、「弟と半分ずつにして食べなさい」と教えました。
  
子どもたちがケーキを食べ終わると、ひろさんはこう尋ねたそうです。
「お母さんは、ひとつのケーキを分けあって食べなさいといったが、なぜ分けないといけないのか、わかるか?」

姉は、「だって分けてあげないと弟がかわいそうでしょう」と答えました。

ところがひろさんは、それはちょっと違うと言います。
相手がかわいそうだから分けてあげるというのは、お恵みでしかありません。
そんな気持ちでいれば、相手がかわいそうに思えないと分けてあげたい気持ちにはなれません。

そこで弟に聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「わかった。この次、僕がケーキをもらってくれば、半分をお姉ちゃんに分けてあげることができるからだね」

それだって、お返しをくれそうもない人にはあげることはできません。
これも少し違うようですね。

ひろさんがお子さんたちに伝えたかったのは、ひとつのケーキを二人で分けてたべて、その方がおいしいと思えるこころを持って欲しいということだったのです。

「あなたが一緒に食べてくださったので、おいしくいただくことができました」
とお礼が言えるようなこころ、それさえあればきっとケーキを最高においしく食べることができるのです。

それこそが「布施」のこころだとひろさんは言っています。

 
物質的な面だけでものごとを見ていれば、ケーキを分け合えば、自分の食べる分は半分になってしまいます。
だから、満足感も半分になってしまうとつい思ってしまいますよね。

でも、自分だけがケーキを独り占めにすれば、もっとおいしく食べることができるのでしょうか。
または、自分の分もすべて相手に食べさせてみれば、お互いが満足できるでしょうか。

本当においしいケーキを食べることができるのは、二人にひとつしかないケーキでもそれを仲良く分けあって食べたときのようです。
ふたりがおいしくて満足すれば、幸せも2倍になります。

見事にひとつを半分にすれば、2倍になりましたね。


「もっといい方法がある。ふたりが充分に満足できるだけのケーキがあればいいだろう」
そう考える人もいるかも知れませんが、仮にケーキが10個あって、それを5個ずつ食べなくてはならないとしたらどうでしょうか。

これは義務になり、ケーキを食べても全然おいしくないことでしょう。
物質的な豊かさがかならずしも幸福であるとは限らないようですね。

本当の幸せとは、ものがあろうとなかろうと、どんな状況であっても、自分が自分の人生を楽しみ、それを人にも分かちあうことができることのようですね。

それがわかるこころがあれば、それこそが本当に豊かだということなのではないでしょうか。