何かがうまくいったり、思い通りに物事が進むと、私たちは気分がよくなるものです。
そんなときには、自分に自信を持てたり、生きるのが楽しくなったりします。
幸せを感じるのですね。
 
逆に、何をやってもうまくいかない、思い通りにならないときには、自分が不幸になったような気がします。
イライラしたり、怒りや悲しみを感じたり...
あるいは、自分を情けなく思ったり、毎日が辛くなってしまうこともあるでしょう。

 
何かが思い通りになるときが「幸せ」で、思うようにいかないときが「不幸」です。
それは、ごく自然で、当たり前のように思えますね。

しかし、はたして本当に、それは自然で当たり前なことなのでしょうか?

もしそうなら、自分が「幸せ」でいるためには、いつも、物事が思うようにいっている必要がありますよね。

考えてみれば、そもそも私たちが生まれた瞬間から、何ひとつ、自分の思い通りになったことなどなかったようです。

どんな親のところで生まれるか。
何人兄弟の何番目の子になるか。
何月何日の何時何分に誕生するか。
生まれた日の天気は晴れていたか、雨だったのか。
男か女か。

どんなことも、自分が思うように選んだわけではないですよね。
 
また、生まれてからも、いつも両親が側にいて愛情を注いでくれていたとは限りませんし、お腹がすいてもすぐにはオッパイがもらえなかったり、おしめが濡れても、気がついてもらえないこともあったでしょう。

きっと、そんなときには、腹が立ったり、悲しくて泣いてしまったでしょう。
でも、だからといって、自分が不幸だと思ったことはなかったのではないでしょうか。
少なくとも、自分をみじめに思ったり、生きるのがイヤになったりはしなかったはずですよね。

思い通りにならなくても、それは、ただそれだけのこと。
自分が「幸せ」なのか「不幸」なのかということには、関係がなかったのです。

それが、気がつくと、いつの間にか、思ったようになると「幸せ」、思うようにならないと「不幸」だと思いこんでしまっています。
昔は、どんなに思い通りにならなくても不幸ではなかったのに、今は、不幸になって、落ち込んでしまうのですよね。

いったい何が変わってしまったのでしょうか?

たぶん、今も生まれたときも、私たちが、日々出会う出来事は、それほど違ってはいないでしょう。

うれしいこともあれば、イヤなこともあります。
楽しいこともあるし、辛いこともやってきます。

何もかも、自分の思い通りになるとは限りませんね。

だとしたら、私たちを不幸にしているのは、自分に起こる出来事ではなくて、それをどう受け取るかの違いなのでしょう。

「これはこうでなければならない」
「こんなことはしてはいけない」

知らぬ間に、そんなメガネをかけて見ているので、出来事は、ただそういうこととは受け取れなくなってしまっているのです。
 
これさえ手に入れば、あの人さえいなければ...

そんなふうに、自分の思うようになれば、幸せになれると勝手に決めているのです。

だから、思い通りにならないと、幸せになれないのですね。

「物事を自分が望むようにしていきたい」
「より良くなるように変えていきたい」

そう思うことは、健全で自分をより大きくしていくためには大切なことでしょう。

ところが、
「人も物事も、自分の思うようにならなければならない」
という思いは、ただ自分を不幸にするだけのようです。

もし、自分を不幸だと思っている人がいたら、知らないうちに、そんな『思うようにならなければならない』というメガネをかけていないかどうか確かめてみてください。

 
あるがままに、この世界を眺めてみれば...
 
生まれたときから、毎日毎日が、私たちを幸せにしてくれる、すばらしい贈り物だったということが見えてくるでしょう。