アメリカのカウンセラー、ミルトン・エリクソンのロバートという息子さんが、まだ幼かった頃のことです。
ある日、ロバートは、家の前の歩道で遊んでいるうちに転んでしまい、口のなかを大きく切ってしまいました。
あわててエリクソンが駆けつけたときには、息子は、口から血を流しながら激しく泣きじゃくっていたのです。
すぐにエリクソンは、こう言いました。
「これはすごく痛いね、ロバート。ああ、痛い。さあて、その痛いのが消えるのはいつだと思う」
すると、狂ったように泣きわめいていたロバートに、ちょっとした変化が起こりました。
それまで、痛さや怖さで頭がいっぱいだったのが、いつの間にか、「この痛みが消えるのは、いつ頃なんだろう...」と考えはじめていたのです。
そして、ロバートは泣くのも忘れて、洗面所で傷口を洗うために、おとなしく父親に連れられていきました。
ところが口のなかの傷は、エリクソンが思っていたよりも大きく、すぐさま洗面場が血だらけになってしまったのです。
それを見るなりエリクソンは、「ほら見てごらん。とっても赤くてキレイな血じゃないか。健康的でいい色だね」と声を出しました。
そのおかげでロバートは、流れ落ちる自分の血を見ても、恐怖でパニックに襲われることもなく、赤くてキレイな血の色に夢中になることができたのです。
病院で診てもらうと、やはりロバートの傷は、縫合する必要がありました。
エリクソンは、ロバートに、口のなかの傷を縫わなければならないということを告げましたが、こんなことを付け加えるのを忘れませんでした。
「そう言えば去年、お前のお兄ちゃんがケガをしたときも、やっぱり傷口を縫ったよね。そのときは、たしか六針だった。さあ、大ケガコンテストで優勝するのは、お前かお兄ちゃんかどっちかな? 七針以上なら、お前の勝ちだよ」
ロバートの手術を担当した医師は、傷口を縫ったり消毒したりする間、彼が泣くどころか、とても静かにしていることに驚きました。
そればかりか、縫合が終わるとロバートは、目を輝かせて医師にこう聞いた
のです。
「ねえ、僕は何針縫ったの?」
「九針だよ」
そう医師が答えると、ロバートはニッコリと微笑んだということです。
何かに行き詰まったり不幸な出来事に出会うと、私たちは、ものごとをひとつの方向からしか見ないようになってしまいます。
目の前に立ちはだかる壁にばかり焦点を合わせて、それに押しつぶされそうになって、「もうダメだ...」とため息をついたり、あきらめてしまうのです。
でも、そんなときにでも、ほんの少し心に余裕を持って、まわりを眺めてみれば、他の方向や違う道が見えてくることもあるでしょう。
すると、今まで困難に思えていたことでも、案外簡単に乗り越えて前に進んでいけるかも知れません。
悩みや苦しみは、ほとんどが同じ方向から物事を見ていることから生まれるようです。
何かやりたいことがあるのに、「自分には無理だ」とか「できない」と思うことも、きっと同じなのでしょう。
何しろ、私たちの生きている世界では、「できない」ことより「できる」ことの方がずっと多いのですから。
「できない」ことばかりを見つめているのと、「できる」ことへ意識を向けるのとでは、自分が生きる世界がまったく違ってくるのではないでしょうか。
...そして、「やりたい」と思うことこそが、「できる」ということの証明なのですから。