一生懸命に仕事をがんばっているのに、なかなかうまくいかない。
それなのに、同僚は、いとも簡単に実績をあげているように見える。

急いでいるときに限って、いつも駅に着くと、電車が行ってしまったあとだ。

コンサートのチケットを予約しようとしても、タッチの差で手に入れ損ねることが多い。

...どうして、私だけが、いつもいつもツイていないのだろうか?
もっと運がよければ、今よりもっと違った人生が送れるはずなのに...

もし、そんなことを思っている人がいたとしたら、何かを見落としていないませんか。
自分ができることをやりもしないで、すべてを運命のせいだとあきらめてしまってはいなませんか。

そもそも、「いつもツイていない」状況を創り出しているのは、自分自身なのかも知れませんよ。

たとえば、仕事でうまくいかなかったり、電車の乗り遅れたことがあったとしても、それは、本当に、いつもいつも100%、そうなってしまっているのでしょうか。

きっと、振り返ってみれば、一度や二度は、仕事で思いもかけぬ成果をあげることができたり、タイミングよく電車に乗ることができたこともあったはずです。

そんなときには、「たまたまうまくいっただけさ」と思って忘れてしまい、うまくいかないときにだけ、「ツイていない」と思っているのなら、いつも不運な出来事を探して、そこに注目しているようなものですね。

毎日、同じくらいの、「ツイていること」、と「ツイていないこと」があったとしても、「ツイていないこと」ばかりを見ているのでは、一日中、自分はツイていないと思えても仕方がないことでしょう。

もっと言うと、「ツイていない」と思っていることは、本当に、「ツイていな」かったのでしょうか。

仕事で成果を出せなかったことは不運なような気がしますが、実力もないうちから、実績だけを残して、いきなり大きな仕事を任されたりしては、かえって辛くなることもあります。

電車の乗り遅れたり、チケットを取れなくても、そのことがかえって、他のラッキーな出来事を呼び寄せるきっかけになることもあるでしょう。

それにこうも考えられます。

電車の乗り遅れたといっても、必死で走って、もっときわどいタイミングで乗り遅れた人もいれば、後からやってきて、今電車が出たところだとも知らず、いつ電車は来るのかと待ち続ける人もいます。

そんな人と比較すれば、自分は、少しはツイていると言えるのではないでしょうか。

たまたまタイミングよく電車に乗った人と比べていれば、どうしたって、自分は不運でツイていないと思えてしまいますよね。

自分はツイていない。

そう思えるのは、ただ、自分がそう思っているからだけなのです。
いつもツイていないことを探しているから、小さなツイていないことばかりが、見えてくるだけなのです。

...ここだけの話ですが、自分は不運でいつもツイていないと思うことは、ある意味、楽なことでもあるのです。
 
だって、そう思っていれば、自分ができるはずのことができなかったり、どんなことであれ望んでいた成果が上げられなくても、それに対してちゃんと言い訳ができるのですから。

もっとがんばったり、自分を変えたりするような面倒なことはしなくてもよくなるのですから...

さて、もしも、ツイていない人生に飽きているのなら、ツイている人生に変えることは簡単にできるはずですよね。

そう、小さなことでもいいから、「ツイている」ことを探そうと心がけてみればいいのです。

朝、ちゃんと起きることができた。
遅刻しないで会社に着けた。

そんなラッキーなことに注目するだけで、きっと、どんどんツイていることが見えてくるはずですよ。

もっと言うと、今、こうして生きている。
この世界に生まれてくることができた。

そんなことにも感謝してみましょう。
それだけで、今日も、すばらしい一日になることでしょう。

あなたは、生まれてから今まで、そして、これからも、いつもいつも、ツイていたのですから。