良い、悪い
正しい、ただしくない
 
育ってきた環境のなかで、私たちは、そんな価値観を身につけていきます。

こうするべきだ
それはしてはいけない
 
そんな観念や信じ込みも、いつの間にか持っているのです。

誰かから教えてもらったのか、経験から自分で身につけたのかはわかりませんが、私たちが、生きていく上で役に立つから、手に入れたのですね。

確かに、良いと思うことや正しいと感じることを行うようにすれば、人から評価されるでしょう。
こうするべきだと信じていることを成し遂げれば、それだけ心も満足しますよね。

それが人生を生きやすくするのなら、すばらしいことです。
でも、往々にして、その価値観や信じ込みが、人とのトラブルを招いていたり、いつも苦しい思いをさせていることがあります。

「A」ということが正しくて、常にそれをしなければならないと感じているとします。

それは、過去に、「A」とは正反対の、「B」ということで失敗したり、傷ついたからなのかも知れません。

たとえば、「いつも清く正しく生きなければならない」「常にがんばっていなくてはならない」「どんなときも積極的に行動すべきだ」といったような価値観を持っていて、曲がったことをしたり、だらしなくしてはダメだと思っているのです。

それが役に立っている場合は、何も問題はありません。
でも、あまりに強く信じているとしたら、ちょっと苦しくなってしまうこともあるでしょう。
 
人間ですから、ときには魔が差すことも、疲れて弱音を吐きたいときもあるはずです。
ところが、信じ込みが、それを許そうとはしないのです。

もし、自分の価値観から外れるようなことをしてしまったら、
強く自分を責めたり、落ち込んでしまったりしてしまいます。

「A」が正しくて、「B」は受け容れることができないのです。

だけど、ひょっとして、いつの間にか「B」がとても大きくなってしまってはいないでしょうか。

はじめは、「B」でないための「A」でしたが、いつしか「A」以外は、すべてダメだと思うようになっていたりします。
つまり、「A」以外は、全部イコール「B」になってしまっているのですね。

よく見てみれば、この世界には、「A」や「B」だけでなく、「C」や「D」や「Z」、または「あ」や「い」、「α」や「β」など、数え切れなくくらいの価値感や選択がありますね。

それが、「A」以外は全部ダメとなってしまうと、ずいぶん世界が小さくなってしまうでしょう。

人生で感じる、苦しさや問題は、けっこうこのへんが原因になっているのかも知れません。

そんな小さな世界にいては窮屈だよ、もっと大きな世界に生きていることに気づこうよ、などと心がメッセージを送ってくれているのではないでしょうか。

「A」を信じることが問題ではないのです。
楽に生きるためには、もっと心を開いて、「A」以外の、「C」や「D」などの存在を受け容れてみるのがいいのでしょう。

とても受け容れることができないと思っている、「B」だって、ちょっと見方を変えてみれば、いろいろな気づきがあるはずですよ。

それができたとき、人生がどう変化するか楽しみですね。

...あなたにとっての、「A」って、いったい何だと思いましたか?